岐阜県文化財保護協会 -郷土の文化財を守り、子どもたちに伝えましょう-

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創立50周年記念式典、記念講演会・演奏会を開催しました

2021年12月8日

令和3年12月6日(月)に、本会創立50周年記念式典が、ホテルグランヴェール岐山を会場として、第一部記念式典、第二部記念演奏、第三部記念講演の三部構成で行われました。

第一部は、佐藤武彦県議会議長、伊藤秀光県議会議員、副島雅博県博物館長、高橋洋子県民文化副局長をご来賓にお招きし、馬渕会長の挨拶の後、佐藤議長様、市橋文化局長様(高橋副局長代読)からご祝辞をいただきました。

その後の表彰では、会長として長くご指導いただいた子安一徳前会長に特別功労者表彰を、記念事業に多額のご寄付をいただいた伊藤克司様に感謝状を、馬渕会長から贈呈しました。また、県議会議員の猫田孝様、県議会議員の伊藤秀光様、県市長会会長の青山節司様から、ご祝電をいただき披露しました。

 

 

第二部 記念演奏  

雅楽と美濃の謡い「催馬楽 美濃山」

雅楽「松風会」

主宰の松久貴郎氏を中心に、12人のメンバーで演奏していただきました。曲目の節目には、松久氏から雅楽や曲目についての説明がなされ、雅楽についての理解を深めることができました。曲目は、楽器演奏だけの管弦では、「双調音取(そうぢょうとねり)」と「鳥急(とりのきゅう)」を、歌のある催馬楽(さいばら)では「美濃山(みのやま)」を、踊りのある舞楽では「蘭陵王(らんりょうおう)」を演奏されました。とくに催馬楽「美濃山」は、八三三年の仁明天皇の承和大嘗祭のとき美濃国からお米を献上し、その時献上した美濃国を称えて歌われた悠紀風俗歌を催馬楽に転調したもので、皇室と岐阜の深い関わりを示す貴重な楽曲です。また舞楽「蘭陵王」も、舞人が緋色の衣装をまとい、金色の仮面をかぶり、金色の桴(ばち)をもって舞う姿は、五〇周年を迎えた本協会に、新しい時代に向かって進んでいくように花を添えていただきました。

第三部 記念講演

「戦国期に燦然と輝く美濃国―その歴史と文化財―」

小和田哲男先生

小和田先生は、静岡大学名誉教授であるとともに、岐阜関ケ原古戦場記念館館長、岐阜市歴史博物館名誉館長も務められ、岐阜県とはご縁の深いお方です。

講演は、先生がNHK大河ドラマで時代考証を数多く手がけておられ、その苦労話から始まりました。たとえばドラマの原作者が、①生存する場合、②亡くなっている場合、③原作がない場合で、それぞれ対応が異なります。研究者の立場からすると③が一番やりやすいのですが、原作者がいる場合は、最近の研究成果を説明して了解を得なければなりません。生存されている場合は話し合いができますが、亡くなっていると原作者の了解が取れないのでTV関係者との最終調整が行われることになります。これがなかなか大変です。その他、言葉の問題や演出上の問題などで意見が食い違い、それを調整するのが大変であると話されました。

本論に入ると、「応仁・文明の乱」から「関ヶ原の戦い」までの美濃国の戦国時代について次のような項目について話されました。応仁・文明の乱のとき大きな力を揮った守護土岐氏(美濃国の守護を長く続けた土岐氏・東濃に多くの文化財を残す)。土岐氏を支えた守護代斉藤氏(なぜ下克上で土岐氏を倒さなかったのか)。さらに父親と二代にわたって守護代斉藤家を乗っ取り、戦国大名となった斎藤道三(六角承禎条書写)。道三から美濃を譲られた織田信長(岐阜命名を巡って・名刀美濃伝)。信長と明智光秀(本能寺の変)。豊臣秀吉(美濃大返し・岐阜城主池田恒興)。徳川家康。石田三成。そして関ヶ原の戦い。このように戦国時代の歴史を語る上で、ゆるがせにできない美濃国。そしてそこに、寺院・墓石・位牌・刀・城などの豊かな文化財が残っています。岐阜県の文化財をこれからも大切に守っていくようにエールを送っていただき、講演を締めくくられました。