岐阜県文化財保護協会 -郷土の文化財を守り、子どもたちに伝えましょう-

お問い合せ先

058-214-9112

岐阜県岐阜市藪田南5-14-12 岐阜県シンクタンク庁舎5階

『濃飛の文化財』総目次(41~52号)

号数
発行年月日
頁数
目次
41
平成14年3月1日
69
祝辞 日比治男県教育長、
41号の発刊によせて 太田三郎会長、
郡上八幡小野古戦場の碑と金森頼錦 佐藤とき子、
岐阜県令長谷部恕連碑について(二) 後藤勝、
「湖東式軒瓦」近江から美濃へ 梅本洋一、
美濃姫街道(中山道)四百年  太田三郎、
金森長近と紙業奨励 森政治、
国島家の末裔と龍馬ー「いろは丸」事件ー 
佐藤哲雄、
宝暦治水の顕彰者 不屈の人西田喜兵衛 
児玉貞治、
槍ヶ岳開山播隆上人の足跡と美濃との関わり 
栗谷本真、
岐阜県文化財保護協会について思うこと 
菅田一衛、
学習会を乞う 藤本健三、
中央線開通と西浦の赤レンガ 安藤貞男、
文化2年壬戌年10月
紀州御用途金返納遅滞とその考察 
足立秀成、
伊能忠敬の測量隊飛騨へ来る 大前久八郎、
泳宮伝承考 竹谷勝嘉、
多芸郡直江郷金屋の鋳物師 村上圭二、
庄屋(名主)の存在 折戸芳夫、
古代鏡の謎「卑弥呼の鏡と三角縁神獸鏡」 
橋詰佳治、
42
平成15年3月10日
96
祝辞 高橋新蔵県教育長、
42号の発刊によせて 太田三郎会長、
長良川鵜飼千三百年に寄せて 加納幸広、
尾並坂峠・地名考 村上圭二、
螺髪のある青面金剛 浅野弘光、
美濃加茂市内における文化財の変容と消失 
間宮瑞夫、
巡視員活動をふり返る 早子博、
皇女和宮の関東降嫁と飛騨の助郷 大前久八郎、
青墓の「大炊」長者は女性である 児玉貞治、
親鸞の聖徳太子信仰ー善鸞の義絶をめぐってー 
細川道夫、
蘭方医学の先覚者坪井信道 宮川正俊、
女筆春の錦 小野つう筆(複製)を入手して 
小野薫、
旗本岡田善同の治政 折戸芳夫、
かかみ野の風土ー年中行事と交通ー 足立秀成、
長滝寺の「宋版一切経」 白石博男、
姫街道その二 五十宮倫子の東下り 太田三郎、
岐阜県令長谷部恕連碑について(三) 後藤勝、
その全容を一望できた環濠集落「猫島遺跡」 
梅本洋一、
古代鏡の謎Ⅱ「青銅鏡の錆について」 
橋詰佳治、
小さな祠「西宮大明神」ルーツの解明 
佐藤哲雄、
岐阜県恵那市正家廃寺跡の概要
恵那市教育委員会
43
平成16年3月10日
78
祝辞 高橋新蔵県教育長、
文化財保護協会の責任は重し 太田三郎会長、
「礎石に聞く」 冨長覺梁、
古井戸の示唆するもの 浅野弘光、
日本海と太平洋の交易ルート 鉄座から楽市へ
村上圭二、
近藤如行の考証と年譜ー如行は
竹島町の藤屋九兵衛かー 古橋哲雄、
山内一豊の妻見性院のこと 佐藤とき子、
福沢諭吉と「天井天下唯我独尊」 細川道夫、
文化財と火災 菅田一衛、
一枚の写真を残してー飛騨の明治維新ー 中島勇、
秀吉の美濃墨俣にての茶会初見記ー
天王寺屋会記よりー 佐藤哲雄、
土岐源氏中興の祖土岐頼貞 宮川正俊、
竹腰氏ゆかりの人たち 児玉貞治、
生誕二百年ー「村瀬太乙の魅力」とその背景
森政治、
後光厳天皇の垂井行宮 太田三郎、企業の家訓
加納宏幸、
飛騨に残る仏師屋藤兵衛(東平)の作品 早子博、
あっち向いてもこっちを向いても文化財ばかり
小野薫、
刀剣王国美濃の伝統 竹中博男、
各務原市の農村舞台 足立秀成、
古代鏡の謎Ⅲ「流金金四霊三瑞鏡と?古鏡」
橋詰佳治、
舟木山九八号墳から出土した「方形板革綴短甲」
梅本洋一、
44
平成17年3月10日
82
祝辞 鬼頭善徳県教育長、
岐阜県の宝物を大切に 太田三郎会長、
五大尊像の国宝指定を受けて 明星良輝、
国宝指定「絹本着色五大尊像五幅」 小島駿男、
芭蕉来訪前後の西濃の俳諧 古橋哲雄、
『本草図譜』に慾斎が転写した博物図書
『東莠南畝讖』 村上圭二、
再び、山内一豊の妻、見性院の出自ー
母友順尼からさぐるー 佐藤とき子、
郷土が生んだ‘刀匠’小谷包義 井上理、
永平寺五十世玄透その足跡を追う 森政治、
幕末騒動と剣士横倉喜三次 佐藤哲雄、
承元の法難と親鸞 細川道夫、
「いろは」のいから〈文化庁様待使〉 菅田一衛、
「私の原風景」ー植えたハンノキによる
使者への秘儀 冨長覺梁、
視点を変えて思いつくままに 早子博、
照蓮寺文書にみる一向一揆と戦国大名 
加納宏幸、
飛騨白川郷・中世照蓮寺文書について
加納宏幸、
朝鮮通信使とミュージカルつばめ 太田三郎、
郡上藩凌霜隊発信をめぐって 白石博男、
さまよえる「老龍」琴ー梁川香蘭と七絃琴ー
児玉貞治、
天明期太田宿の困窮と世相 間宮瑞夫、
文政十二年徳山分家領騒動 足立秀成、
民具類の体系化について 食事を例に
浅野弘光、
岩村町堀田遺跡の旧石器 成瀬和朗氏蒐集資料報告
橋詰佳治、
弥勒寺東遺跡にて発見された美濃国「武儀郡衙」について
梅本洋一、
45
平成18年3月10日
76
祝辞 鬼頭善徳県教育長、
岐阜県の宝物を大切に 太田三郎会長、
五大尊像の国宝指定を受けて 明星良輝、
国宝指定「絹本着色五大尊像五幅」 小島駿男、
芭蕉来訪前後の西濃の俳諧 古橋哲雄、
『本草図譜』に慾斎が転写した博物図書
『東莠南畝讖』 村上圭二、
再び、山内一豊の妻、見性院の出自ー
母友順尼からさぐるー 佐藤とき子、
郷土が生んだ‘刀匠’小谷包義 井上理、
永平寺五十世玄透その足跡を追う 森政治、
幕末騒動と剣士横倉喜三次 佐藤哲雄、
承元の法難と親鸞 細川道夫、
「いろは」のいから〈文化庁様待使〉 菅田一衛、
「私の原風景」ー植えたハンノキによる
使者への秘儀 冨長覺梁、
視点を変えて思いつくままに 早子博、
照蓮寺文書にみる一向一揆と戦国大名 
加納宏幸、
飛騨白川郷・中世照蓮寺文書について
加納宏幸、
朝鮮通信使とミュージカルつばめ 太田三郎、
郡上藩凌霜隊発信をめぐって 白石博男、
さまよえる「老龍」琴ー梁川香蘭と七絃琴ー
児玉貞治、
天明期太田宿の困窮と世相 間宮瑞夫、
文政十二年徳山分家領騒動 足立秀成、
民具類の体系化について 食事を例に
浅野弘光、
岩村町堀田遺跡の旧石器 成瀬和朗氏蒐集資料報告
橋詰佳治、
弥勒寺東遺跡にて発見された美濃国
「武儀郡衙」について
梅本洋一、
46
平成19年3月10日
74
祝辞 松川禮子県教育長、
文化財保護協会の責務は重くなる 太田三郎会長、
旧国鉄越美南線北濃駅に残るアメリカ製転車台
白石博男、
中世叡山浄土教による多芸椿井郷柏尾葬所の千体仏
定印阿弥陀 肖像の墓石群 村上圭二、
岐阜県内最古級の鶴山古墳群について 橋詰佳治、
大徳寺総見院織田信長木造の造立について 加納宏幸、
樹の寿命 菅田一衛、
旧徳山村湖底になる前に 藤原久美子、
巡視員の活動と課題 早子博、
鍾乳石が語る古気候と郡上に残る原始人の祈りの道具ー今、
我々は何をなすべきかー 佐藤とき子、
日本の名城百選 岩村城の国指定運動と保存 藤井鉦三、
木曽川の渡舟ー江戸期苗木藩ー 吉田三郎、
今須騒動は助郷一揆か 太田三郎、
天正の地震と大垣城 細川道夫、
下池干拓に挑んだ人たち 児玉貞治、
天然記念物保存に貢献した三好学(一) 小島駿男、
高岡怒風年譜稿 古橋哲夫、
かかみ野の女性史をつくって 足立秀成、
悠久の流れ糸貫川 小野薫、
郡上藩宝暦騒動古記録等デジタル化への取り組み
佐藤光一、
47
平成20年3月1日
72
祝辞 松川禮子県教育長、
岐阜県の宝物保存と活用 太田三郎会長、
織田信長と長滝寺道雅法印 白石博男、
岐阜長良町人たちと文雅 古橋哲雄、
大垣の円空仏ー報恩寺と碧還寺の場合ー 細川道夫、
岐阜県唯一人の名横綱鬼面山谷五郎 太田三郎、
天然記念物保存に貢献した三好学(二) 小島駿男、
六地蔵と巡検使のはなし 佐藤とき子、
一つには囲碁の先生 小野薫、
石碑を建てた話 菅田一衛、
私と文化財ー四十年をふり返るー 早子博、
深まる文化、消えていく文化、残す文化、求めさせたい文化
子安一徳、
国の重要文化財に指定された美濃橋の今昔 森政治、
養老明神と菊水泉 村上圭二、
海津市を流れた木曽川 児玉貞治、
太田の渡しーなぜ中山道の難所なのかー 間宮瑞夫、
円形台状墓とみられる遺跡について 橋爪佳治、
各務原市の地名と歴史(1) 足立秀成、
恵那市指定文化財「石室千体佛」  藤井 鉦三、
岐阜県の獅子神楽分布と郡上大神楽の伝承・保存 馬渕旻修
48
平成21年2月20日
65
祝辞 松川禮子県教育長、
文化財保護に向けて 船戸政一会長、
ガラス越しの仏像に聞く 冨長覚梁、
郡上藩宝暦騒動における傘連判状 白石博男、
美濃路に残した琉球使節 太田三郎、
中世城下と鷲見城 馬渕旻修、
大垣藩の新田開発ー今村輪中の形成に関連してー 
細川道夫、
天然記念物保存に貢献した三好学(完) 小島駿男、
江戸時代の人の名前 古橋哲雄
各務原市の地名と歴史(2) 足立秀成、
窮乏の村 間宮瑞夫、
名古屋城と養老山地の河戸石 児玉貞治、
石鏃の側刃構造から用途を探る 
縄文石鏃と弥生石鏃 橋爪佳治、
漢字のもつ力のすごさに脱帽した日 佐藤とき子、
さらば蛍よ 菅田一衛、
川底を川上へ泳いだ仁王さま伝説 早子博、
自分の心の中の文化 子安一徳、
文化財の保存・管理についてー
岐阜県指定文化財における寺院管理関する
アンケート結果からー 
事務局
49
平成22年3月10日
57
祝辞 松川禮子県教育長、
「教育功労者表彰」の受賞に寄せて 
船戸政一会長、
中世美濃の禅宗寺院についての小論-
京都慧日山東福寺派の展開を中心に- 福井金弘、
親鸞の浄土観 細川道夫、
織田信長に関する歴史的景観のしおり 伊藤克司、
脇水鐵五郎理博の名勝・
天然記念物の保存に関する業績 小島駿男、
『山県の「よさ」を見つけましょう会』を発足させて
西村覚良、
地歌舞伎の保存にかかわって 小栗栄輝、
史料に見る天正大地震帰雲城埋没 白石博男、
牛牧閘門-歴史と学術価値- 野田清影、
島津義弘の逃走ルート再考 児玉貞治、
郡上高鷲が生んだ偉人・山川弘至 馬渕旻修、
自然環境と文化財のこと-総合学習での話題から-
早子博、関支部の今とこれから 勝山樹由、
文化財保護と信仰の狭間で-
日本国憲法の「信仰の自由」にかかわって 大平橘夫、
50/51
平成23年6月14日
144
祝辞 古田肇岐阜県知事、
「創立40周年を祝して」松川禮子県教育長、
「創立40周年記念号の発刊に際して-先人に学び、
地域をつくる-」船戸政一会長、
大垣藩の定帳 横幕孜、
大垣市郷土館企画展「学校の宝物展」 佐竹雅男、
下呂市指定文化財 郷土館(清原家住宅)伝説
大晦日の「おくりびと」 早子博、
郡上宝暦騒動における箱訴をめぐって 白石博男、
白鳥の拝殿踊り 大堀等、
輪中と道路交通 馬渕旻修、
日本人の心は神や仏によって育てられた 子安一徳、
五大坊鷲嶺と野村藤陰 細川道夫、
明治初年と記録されていた国指定文化財2点 杉原正、
後世に語り継ぎたい歴史上に現れた古代の可児・御嵩
鈴木富雄、
戦国武将織田信長の実像を追う 信長は神になろうとしたか
信長は冷酷非情な暴君だったか 船戸政一、
日本最初の織田信長映画の制作事情-
監督マキノ雅弘と俳優片岡千恵蔵- 伊藤克司、
石棒由来記 松波民善、
養老の一僧侶が描いた至宝の動植物図譜-東莠南畝讖-
冨長覚梁、
祭りの今日的意義-引きこもり症候群の抗体を醸成する-
清水昭男、
国重文白山神社拝殿の保護(保存・活用)活動 西村覺良、
治水の風土 瑞穂市(旧穂積町)流域住民の悲願 築堤・河川
改修実現過程 野田清影、
彰如の六字名号について 牧村文男、
竹腰正武と大絵図と『今尾記』と 児玉貞治、
美濃岩村町の石造文化財調査 藤井鉦三、
関市の黄檗文化-国指定重文「木造菩薩坐像」がなぜ関に?
勝山樹由、
飛騨真宗の発祥について 中嶋勇、
郡上大和町妙見にあった「尊星王院」のこと 佐藤とき子、
文化財の保護と継承について 高橋良樹、
偉人を生んだ美濃高須・吉田一族 加藤久芳、
近世洞戸村について 船戸忠幸、
脇水博士の名勝天然記念物の保存に関する業績(二)
小島駿男、
琉球使節の残した文化 太田三郎、
関瓦斯株式会社 小森泰道、
謎の城館跡遺構 山田城(釜井館) 橋詰佳治、
史跡美濃国分寺跡とその遠望の縁 長澤均、
北方町文化財保護協会員による仏像調査に大拍手
川瀬善忠、大垣市北小学校区文化財愛護少年団のこと 
藤原久美子、
「美濃市文化財を守る会」の歴史と意義 川嶋智孝、
領下に轟く時の太鼓 小野薫、
文化財保護は、町づくりの「物語」活動-延命地蔵と忠臣蔵-
大竹庸元 
寄付者一覧、四〇周年記念事業経過
52
平成25年3月11日
110
祝辞 松川禮子県教育長、
船戸先生を偲ぶ 子安一德会長、
御嵩町から日本最古の象化石を発掘 鈴木富雄、
朝鮮からの献上馬 横幕孜、
優美な屋根の知恵
~白山神社拝殿修復工事を見学して~
西村覺良、
わが国現存最古の真宗寺院の本堂
~住宅風の空間をもつ城山照蓮寺 中田敬三、
揖斐小学校「献上螢」のこと 竹中昭文、
会の活動の一環として 大堀等、
蛭ヶ野高原の開拓(一) 馬渕旻修、
地域を支えた駅舎を残したい 早子博、
杞柳産業の発展に尽くした西堀弥市 野田清影、
天下の三名泉、下呂温泉の変遷 松波民善、
天保飢饉についての郡上の史料 白石博男、
北方様と北方殿 平田盛夫、
大垣藩の宗教政策ー
増田耕蔵「同行え演説」をみるー 細川道夫、
北方町にある指定文化財と
町文化財保護協会の活動について 藤道隆、
伊吹山の今昔感傷 冨長覚梁、
明治初年、西濃で突出していた大野町の水運ー
段木と石灰を中心に栄えた水運ー 杉原正、
洞戸を巡る道 船戸忠幸、
宝暦治水・御手伝普請の考察 加藤久芳、
脇水博士の名勝天然記念物の保全に関する業績(三)
小島駿男、
郷浩と金華山城落城両説論争問題 伊藤克司、
大野町における条理調査について 長沼利治、
美濃市の文化遺産を地域活性化や観光資源として
活用する為に 川嶋智孝、
史跡の里・青墓の伝統を守る青小まつり 掛川眞理子、
関町長加茂悦平の業績 小森泰道、
「史跡美濃国分寺跡まで」活用の一考察 長澤均、
生きさせていただいていることの任務 子安一德、
濃飛の文化財執筆要項、
賛助会員名簿