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土岐・多治見研修会報告

2015年12月18日

本年度の県内現地研修会は、土岐・多治見の文化財を研修することになった。土岐市・多治見市担当の文化財巡視員、加藤勝史様、野呂香津文様、平林史孝様と相談の上、土岐市では元屋敷窯の出土品を保存する「美濃陶磁歴史館」と元屋敷窯跡を保存する「織部の里公園」を、多治見市では国宝「観音堂」・「開山堂」を有する「永保寺」を中心に、すぐ近隣にある「水月窯」と「神言会修道院」などを研修場所に選んだ。美濃陶磁歴史館
当日は、バス2台で81名の参加を得て研修することができた。最初に、「美濃陶磁歴史館」と「織部の里公園」をバスごとに分かれて見学した。美濃陶磁歴史館では、ちょうど本年度特別展「元屋敷窯発掘史―美濃桃山陶の再発見と古窯跡発掘ブームの中で―」が開催中で、その展示を担当された春日学芸員から説明を受けた。荒川豊蔵氏の筍絵志野茶碗陶片の発見以来、近辺の古窯跡の発掘がはじまり、これまで瀬戸で焼かれたと思われていた志野焼、織部焼、黄瀬戸、瀬戸黒などのやきものが美濃で焼かれていたことが証明された。その反面で、盗掘も盛んになり、資料が流出する状況が生まれた。そんな中、資料保存の重要性を考えられた多治見工業高校教諭の高木康一先生や県から派遣され元屋敷窯の発掘を行った小川栄一氏の保存活動について、新しく発見された資料を含めて詳しく説明を受けた。今回の特別展に合わせて展示された、荒川豊蔵記念館所蔵の筍絵志野焼陶片や豊蔵氏復元の筍絵志野焼も見ることが出来た。
織部の里公園の見学では、美濃陶磁歴史館の林館長のご案内で、多くの織部焼陶片が発掘された「元屋敷窯跡」を中心に、織部焼の前に焼かれていた黄瀬戸、瀬戸黒、志野焼などが発掘された窯跡を見学した。元屋敷窯跡
昼食前の時間を利用して、多治見元町オリベストリートの中心施設「たじみ創造館」を訪れた後、オースタット国際ホテル多治見で昼食をとった。この場を利用して、子安会長の挨拶、地元の野呂・平林巡視員から歓迎の挨拶があり、川嶋理事からは永保寺の情報もいただいて交流を深めることができた。オースタット国際ホテル多治見
午後は、まず永保寺を訪問した。作庭の名手として知られる夢(む)窓(そう)疎(そ)石(せき)によって開かれた臨済宗南禅寺派の寺院である。境内に広がる夢窓疎石作庭の庭園は、切り立った岸壁が露出する梵音(ぼんのう)巌(がん)と、そのたもとに建つ観音堂を中心に、手前に臥(が)竜(りゅう)池(いけ)を配するなど、夢窓疎石の特徴を残す名園として名勝に指定されている。この庭園の中核に位置する「観音堂」と、庭園奥の「開山堂」は、室町時代前期の建造物であり、夢窓疎石作庭の庭園の中に作庭当時のままの建造物として残り、国宝に指定されている。開山堂バスごとに2グループに分かれて、普段は入ることの出来ない「観音堂」と「開山堂」の中まで見学させていただいて、僧侶の方から直接説明を受けた。屋根の反りの美しさなど禅宗様の様式を持ちながら和様の様式も合わせ持つ建築の特徴や寺の歴史について説明を受け、観音堂に安置してある「聖観世音菩薩像」や、開山堂に安置してある「開祖・夢窓疎石像」・「開山・元翁本元像」も拝顔することが出来た。開山堂の開祖像・開山像
この後、バスごとに、「水月窯」と「修道院」を交互に見学した。「水月窯」は、荒川豊蔵氏が日用品を焼くために開いた窯である。今でも全行程で機械を一切使わず、松の木を燃料とした「登窯」や「穴窯」を使用して製作している。後継者である豊蔵氏の孫の荒川広一さんと職員の方から詳細な説明を受けた。ここにはバスが駐車できるようなスペースがなく、見学をあきらめかけたが、近くのうどん屋さんが木曜日の午後から休みになるので、見学時間を午後からにして、そのお店の駐車場をお借りして、水月窯で研修することが出来た。
「神言会修道院」は、本部がドイツにあり、この地がドイツの風景に似ているところから選ばれて建てられたといわれている。3人のボランティ神言会修道院アガイドの方に、荘厳な建物の内部からぶどう園の広がる周辺の施設まで詳細な説明を受けた。見学時間は4時までとされていたが、後半グループが入館出来たのは4時直前であった。施設やガイドさんなどのご配慮で4時を過ぎてからも見学させていただけた。
今回は、土岐・多治見地区の皆様の協力を得て、当地域の文化財についてより深く認識することができ、すばらしい研修となった。


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