三河吉良の文化財を訪ねました
今年度の日帰り研修は、昨年度の三河「岡崎」に引き続いて、三河の「吉良」を中心に行った。吉良の地はなんといっても、『忠臣蔵』の敵役吉良上野介の領地があったところである。今回は、吉良氏ゆかりの文化財を中心に吉良の地に残る文化財を訪ねた。
三月三日、48名の参加を得て、大垣、岐阜、関、美濃と回り、高速自動車道を駆使して、順調に進み、最初の見学地「黄金堤(こがねづつみ)」に到着した。ここで今回の案内人、黒部五郎さんにバスに同乗してもらい、全行程に渡って吉良について説明を受けた。
まず、吉良上野介が領民のために築いたという堤防「黄金堤」を見学した。高さ四mの見事な堤防の一部が残っている。今は、桜の名所となり、あと半月もしたら、見事な桜を見ることができるであろう。その桜の間に上野介が赤馬(農耕用の馬)に乗っている銅像が建っていた。
次は高家吉良家の菩提寺「華蔵寺(けぞうじ)」である。吉良上野介ら三体の木像と高家吉良家六代の墓が残っている。①本堂とお庭、②御影堂と墓地の二グループに分かれ交代で説明を受けた。さすがに吉良では上野介は名君として慕われている。
三番目は、「源徳寺」である。ここは浪花節などで有名な「吉良仁吉」の墓があるところである。この墓は仁吉と兄弟分の清水次郎長が建てたといわれている。
午前中の研修を終えて、三河湾に面する吉良温泉に向かい、民宿「はや河」で海鮮料理に舌鼓をうった。海岸は吉良ワイキキビーチと名付けられ、夏には海水浴客で賑わっている。
午後からは、尾崎士郎記念館と旧糟屋邸を訪れた。両施設は隣り合っており、二つのグループに分かれて研修した。記念館は、尾崎士郎の自伝的小説「人生劇場」を中心に展示されており、館長さんから説明を受けた。若い頃の彼の写真を見るとイケメンで、宇野千代が惚れてしまったのも納得がいった。もう一つの旧糟屋邸は、江戸時代から戦前まで、地主経営を中心にあらゆる部門に投資して財をなした旧家である。庭やこった建物はもちろん長屋門や仏間など往時の繁栄が偲ばれる建物であった。
最後に国宝の「金蓮寺(こんれんじ)弥陀堂」を訪ねた。先月末に改修を終えたばかりで、真新しい檜皮葺の屋根が見事であった。この工事を請け負ったのは岐阜の(株)田中社寺で、文化財保護に岐阜の業者が活躍しているのは少し誇らしく思えた。弥陀堂の中にも入れてもらい「阿弥陀三尊像」も拝顔することができた。
帰りに和菓子さんへ寄って、地元の銘菓をお土産にし、黄金堤でガイドの黒部さんとお別れして帰路についた。
今回は三河でもあまり観光地化されていない吉良の地を訪れ、吉良の歴史や文化を考える素晴らしい研修となった。