平成26年度三河研修会報告
日帰り現地研修会『徳川家のルーツ・三河の文化財を訪ねて 』
期日 平成27年3月5日
行程 大垣・岐阜・関→松平郷→真福寺(昼食)→大樹寺→岡崎公園(三河武士のやかた家康館)→八丁味噌の郷→大垣・岐阜・関
三河を見直そう
あまり観光地のない三河地方への日帰り研修。 参加者があるのか、不安があった。しかし、募集して二週間。40名を越え、順調に定員に達した。
三河と言えば、徳川家康を連想できるものの、関ヶ原の合戦や大阪城攻め等天下取り、江戸での徳川将軍家のこと等は三河の地との関わりは薄い。
そんな中、徳川家のルーツは、豊田市の松平郷にあり。今も静かな山里にその歴史が眠っている。織田、今川の抗争の中で苦難の時代を送った家康の人生観や人間形成を知る歴史遺産の残る大樹寺や岡崎城が面白い。渋いけど、ここを売りにし、三河を見直そうという企画は、多くの人に共感していただくことが出来た。
3月5日、天気にも恵まれ、大垣・岐阜・関を経て、東海環状自動車道で松平郷に向かった。
徳川家発祥の地「松平郷」
豊田松平ICで降り、東へ山間を詰め、静かな松平郷の集落に着いた。風は冷たかったが、春らしい日射しの中を二班に分かれ見学に入った。主な見学地は、高月院と松平東照宮の二ヶ所であった。
高月院は、松平氏の始祖親氏が1377年本尊阿弥陀仏をはじめ、堂塔を寄進し、寺名を「高月院」と改称し、松平氏の菩提寺とした。そのため、1602年家康より100石が与えられ、明治に至るまで幕府から厚く保護を受けた。
松平東照宮は、国史跡の「松平氏館跡」の敷地にある。初めは、八幡宮と称し松平家の屋敷神であったが、1619年に家康を祀る東照大権現を勧進した。境内には家康産湯の井戸や松平家の屋敷跡等の史跡があった。
家康再起の寺「大樹寺」
家康の旗印「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」は、岡崎の大樹寺で生まれた。
1560(永禄三)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れた時、松平元康(家康)は、大高城から大樹寺へ敗走し、先祖の墓前で自害を決意した。この時、住職の登誉上人から「乱世を住み良い浄土するのが、お前の役目だ」と諭され、この教えを座右の銘とし 、旗印とした。この寺には、松平氏歴代当主や徳川の歴代将軍の等身大の位牌が並ぶ位牌堂があり、菩提寺となっている。
また、1535(天文四)年に建立された多宝塔、1857(安政四)年に大和絵師冷泉為恭によって描かれた襖絵が国の重要文化財に指定されており、宝物を間近に目にすることができた。
岡崎では、真福寺、岡崎城や「三河武士のやかた家康館」等の見学も行った。どこの研修場所でも、ガイド等の丁寧な説明を受けることが出来た。
そんな中、研修の仕方としては、見学地を少し盛り込みすぎた感もあった。また、ガイドもすべての方が全力投球となり、少しゆとりのなさを感じた。
三河の食文化を賞味
研修の最後にカクキュー「㈱八丁味噌の郷」を訪れた。
明治四〇年に建てられた仕込み蔵(現資料館)を巡り、製法や道具等の説明を聞いた。東海地域では馴染みの八丁味噌の話しに熱心に耳を傾けた。そして、見学最後には味噌汁が試食でき、参加者全員の顔がほころんだ。
話は前後するが、昼食の真福寺の竹膳料理も一興に値する三河の食文化であった。竹膳とは?と席に着いたが、食材、食器のすべてに竹を使うという志向に一同驚かされた。
終日好天に恵まれ、早春の三河の研修を終え、帰路についた。三河地方が果たして参加者の期待に応えられる研修地となるか不安のある企画であったが、松平郷等初めて足を運ぶ場所が多く、家康、徳川家、 三河の地を見直す研修となった。